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2008年5月 3日 (土)

本20冊目

「落語と私」(桂米朝)
—考え落ちの例 外国の小咄
大陸横断の長距離列車、あつい夏の日盛りです。着飾った貴婦人がしきりに氷水をほしがるので、その夫である紳士が車掌に頼むが「ありません」という返事。そこで、金はかかってもよいから....と押して頼むと、しばらくしてカップに大きな氷のかたまりをもってきて一ドルですと言う。貴婦人はすぐそれをたいらげてもっとほしいと言う。紳士はまた車掌に頼むと、しぶしぶまえより小さい氷をもってきて、今度は二ドル請求する。貴婦人はもっともらってくれというので、さらに頼むと、車掌はしぶりながらもまた前より小さい氷を持参して三ドルの金を受け取りながら、「もういくらおっしゃってもだめですよ。これ以上氷をとったら死骸が腐りますからね」(P78引用)


「食べない健康法」石原結實著
紅茶に黒砂糖とおろし生姜を入れたものを飲むといいと書いてあったので、水筒に入れて会社で飲んでみたがいまいちまずいので2日でやめた。


「そのオモチャ、本当に買ってあげていいの?」ガリー・バフォン著
親は子に、自分が「子供の頃、欲しくてたまらなかったもの」を与えたいと思うもの。子供達の喜ぶ顔は、自分の喜び—それはほとんど自分がもう一度子供時代を与えられたようなものです。そこで、ふと、こんな考えが顔を出します。たったこれだけであんなに喜ぶ顔が見られるのなら、もっと与えてやりたい—。
ところが、どうしたわけか、与えれば与えるほど、喜びは減ってしまうようです。みなさんも身に覚えがないでしょうか?「おかわり」の味はけっして最初の一杯におよばないものなのです。
親からの贈り物を、子どもがうれしそうに感謝して受け取るのではなく、たかがこんなものという態度で要求を募らせるようになったら、与える喜びは一転、一時しのぎのご機嫌とりに変わってしまいます。けれども、まちがった薬をいくら与えても、病気がよくなることはけっしてないのです。(P46引用)

「青春の門」(残り8冊)五木寛之著。
これと「龍馬がゆく」の2作品が息子が10代のうちに読んでほしいなあと思う大河小説。

「人間の関係」五木寛之著
—格差社会について
結論から言ってしまいますと、歴史遺産、文化遺産と呼ばれるものは、すべて格差によってつくりだされた罪深いものでしかありません。(P66引用)

貧しい人や困っている人たちに施しをするのも布施ですが、行として考えると、それは自分のためにする行為であって、相手から感謝をうけることを期待するのはまちがいということに気づきます。
布施という機会をあたえられ、それによって自分が幸せになるのですから、むしろ、こっちの方が合掌し、「ありがとう」と言わなくてはならない。
インドでもタイでも、托鉢をうけた坊さんたちは頭を下げないし、お礼も言わない。あげたほうが合掌して頭を下げ、もらったほうの坊さんはすっと去っていきます。(P165引用)P1030291

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